狩猟の話

この料理人の手の表情が気になる。

 

 

肉をちょんちょん、ソーセージを数える時のモニョモニョッと動かす指。

 

あ、また冷蔵庫を開けて袋に入った肉をちょんちょん、よし。

 

 

そして、ハムを腿の状態からスライスする時は、あの専用の台とナイフは使わずに、

 

左手でがっちり骨をつかんで、

 

右手の包丁で完全フリーハンド。

食事の時間はもうすぐなのに、歩くペースのまま進んでいるように感じた。

 

 

しかし、皿が並び始めると、どんどんと盛りつけが進んでいった。

 

いろり端で乾杯の声が聞こえ、ワインの香りが漂い、

 

鹿のあらゆる部分が美しい料理となって私たちの前に姿を現した。

 

料理というものはまことに魔法のよう。命の移し替えをまさに此処で見せられていた。

私の口に入るまでの間に、このたべものが関わってきた命。

 

鹿とその鹿の命を繋げてきた自然のあらゆる存在。

 

そして猟師、料理人。

 

 

私のおなかに収まった後、これらの命の一部を私が受け継ぎ、

 

そのエネルギーをまた善き形で自然に返していこうという想いがうまれた。

 

そのようなことをしっかり感じることができる、素材と人の力が誠実に一体となった料理であった。

 

 

人の営みもまた、命の移し替えのひとつ。

 

すべての瞬間が、大きな流れの中に在る。

 

あるものの肉体から魂が離れ、

 

魂は魂で、他のさまざまとつながり混じり合い、

 

肉体は肉体で、他のものの肉体の一部となる。

 

いのちとはいったいなんなのか。

ジビエ料理の会は続く。

 

 

燻し鹿、レバーペースト、パテ、ソーセージ、血のサラミ、

 

ハギス、カツ、ラーメン、どんぶりもの、、。

 

 

そう、あの菜種油のニンニクオイルが入った茶碗蒸し。

 

ここでしか食べられない具材が入っている。

 

セルヴィル。脳みそである。

 

天ぷらにしたセルヴィルは魚の白子の様な食感だけれど、

 

この物体が鹿の躍動的な身体の動きや感情や思考を司っていたと思うと、

 

とてつもない複雑で強いものを感じてしまう。

 

やはり、味の表現、感覚はなんと言ったらいいのか言葉が出てこない。

 

物質を食べているのではなくて、エネルギーを食べているのだと思う。

 

 

猟師さんが脳や内蔵を傷つけないように為留めたのは、

 

ハセヤンがこのようにすべてを使い尽くす料理人だからだ。

解体場

解体処理場で待っていたのは、「割烹青葉」のご主人。

 

なんと、食事どころの裏側が解体場になっているのだ。

 

店ではもちろん鹿料理を堪能する事ができる。

 

 

 

解体場には大きな鹿がすでに吊られていた。

 

小渕さん、ハセヤン、青葉さんの三人にとって、もちろんこれも日常。

 

ぎゅっと引き締まり豊かな肩の筋肉が現れると、

 

「アスリートだなー。」と賞賛の声。

 

「アキレス腱は牛すじみたいだね。」

 

「じゃぁやってみるか。」などの会話の中に、

 

日常でありながらもいつも新鮮な気持ちでそれぞれの個体へ気持ちを感じた。

 

きっと、毎回、いくつもの発見があるのだろう。

食べること

宿の裏でふきのとうが群生しているのに出会い、少しずつ持ち帰った。

 

参加者の中で一番若い女性は、

 

「ふきのとうって、こんな風に出るんですね。」と、

 

おそるおそる摘み取って柔らかい手のひらに乗せた。

 

命の巡りの中での、一つの始まり。

 

 

彼女はこの日の午後には、解体場で骨から肉をはがす体験をすることになった。

ざんざ亭の縁側には、

 

うまみを出し尽くした出汁がらの骨が美しい姿を見せていた。

 

宿でいただくお茶の器には、この骨を粉にして練りこんである。

 

ボーンチャイナのように。

 

そして、旅の終わりに配られたお土産は、

 

毛がついたままの鹿皮のストラップ。

 

青葉さんでのお土産は、鞣したセーム革。メガネとカメラを拭くのにどうぞと。

 

 

その日からストラップはレンズの横で揺れていて、セーム革はカメラポーチのお供。

毎日食べているその食物が何なのか、

 

どうやってここまでくるのか、

 

今の私たちの暮らしの中ではほとんど知る事が出来ない。

 

産地や種類を知っているだけいい方で、

 

加工されればされるほど、意識する事すら難しくなる。

 

そして食べ残したものが、ゴミ袋へ入れられたその先を知る事も難しい。

 

 

それがすっかり当たり前になっているけれど、

 

きっと人類の歴史、地球の歴史の中では

 

極最近に変化した極めて異常なことなのでは無いかと思う。

 

 

目の前で肉体の死を迎えたいきもののを食す体験をするのは、

 

現代ではなかなか難しい。

 

だからこそ、

 

毎食毎食、

 

この食べ物がたどって来た道、関わって来た命のことを

 

しっかり深く感じながらいただいていきたい。

写真と文     津島    優子

Tsushima   Yuuko