狩猟の話
肉体から魂が離れるとき

いい場所の罠をかけたからといって確実に獲物が捕まるものではないけれど、

 

一度目の時は、2頭の鹿が罠にかかっていてた。

 

寒い朝、宿から車が走り始めたとき、私の目は覚めきっていなかった。

 

まだ思考は働き始めず、感覚が開いている状態で

 

初めて見る光景を漏らさず感じようとしていた。

 

 

 

はじめに見に行ったポイントは道路から少し山を登ったところにかかっていたので、

 

私たちは為留めるのを見る事ができた。

 

かわいらしい子鹿が、足の動きを奪われていた。

 

猟師の小出さんは銃をしまった。

 

そして短いナイフを出して子鹿に近づいた。

 

キューンという高い声がして子鹿は倒れた。

 

すぐに道路まで下ろされ、腹が裂かれ、内蔵が引き出されてバケツに収まった。

 

12月の朝の事、湯気が内蔵を包み、立ち上っていた。

 

ついさっきまで生きて動いていた温度が見えた。

 

空になった腹を枝で開いて冷めやすい状態にして、トラックの荷台に乗せられた。

 

 

2頭目は大きな鹿で道路から下ったところでもがいていた。

 

私たちの到着を待たずに、素早く銃が上がった。

 

銃声に続いて大きく倒れる音が聞こえた。

 

少しの間、苦しそうに身体をよじらせてから静かになっていく。

 

その間の鹿の目が刻々と変化していく刹那から目を離せなかった。

 

肉体が死を迎えるとはどういうことなのか。

 

山で生きることで自然の一部であった肉体が、

 

そこを境に肉体を提供する事で他の命を通して自然の一部であるようになる。

 

或る者は山の土や他のいきものの一部に還り、

 

或る者は人の食べ物となる。

 

 

為留める時に狙う部分は頭ではなかった。

 

脳や内蔵を傷つけない事ように為留め、そして処理している。

 

それはその肉体まるごと無駄なく使い、その命をしっかり全うさせる為だ。

 

このことは、料理人との連携した仕事によって守られているようだ。

 

 

魂が肉体から離れて動かなくなった後は解体場に運ばれ、

 

解体されてどんどん形を変えて行く。

 

血を抜き、皮を剥ぎ、部位ごとに大切に分けられて行く。

 

一つのいきものが、

 

貴重な食材へと存在が変化して行くのは、

 

とても不思議な感覚で、

 

頭ではわかっているつもりでも、どうしてもどういう事なのかわからない。

厨房で

さて、この先は料理人の手に委ねられる。

 

山師料理の宿ざんざ亭の厨房では、今夜のジビエ尽くしの料理の準備が進められてた。

 

調理台の上はまだがらんと開けた状態で、

 

ゆったりとした流れで仕事をしているのは、

 

料理人のハセヤンと彼をサポートするのりさん。

ハセヤンの料理は独特の世界を持っている。

 

ジビエ料理と言えば、

 

西洋風か、野趣あふれる猟師風を

 

想像できるが、

 

そのどちらでもあり、そのどちらでもない。

 

薫製したり、緻密に加熱管理したり、、。

 

西洋風の調理法をしていても

 

並んでいる調味料は

 

日本のものがほとんどで、

 

オリーブオイルやワインビネガーなどは

 

使わないという。

 

近くのものが相性いいよということで、

 

菜種油は長野県の美麻産の上質なものだ。

 

少しすると、

 

その菜種油とニンニクを小鍋に入れて

 

じっくり火にかけている。

 

イタリアンでオリーブオイルを使ってする

 

あれだ。

 

香りがよく出たら

 

火にかける前の茶碗蒸しにかけている。

 

斬新!

大きな鍋が二つ。

 

左を覗くと、既に長時間に込まれた骨が濃厚なスープの中に浸っていた。

 

これはもしかして、話に聞いていた随からスープをとる話のあれか。

 

ある時間を超えて煮込むと、臭みがなくなって非常にミルキーな出汁がとれることがわかったと。

 

どこまでも、余すことなくおいしく戴くための探求。

 

右の鍋には肉のかたまりが湯煎してある。

 

湯には温度計が差してあり、研究の結果見つけた一番おいしく仕上がる温度を守っている。

それにしても、この厨房の中はリラックスしてゆったりしているように見える。

 

ちっとも忙しそうじゃないのだ。

 

鼻歌が漂い、後ろに手を組み鍋を覗く。

 

内股肉をじっくり燻しているのを、

 

くんくんと嗅いで裏返したら

 

左手でちょんちょんと触れて

 

ヨシヨシという表情。

また鼻歌、

 

時々向こうからのりさんの

 

「かしこまりました!」というはっきりした声。

 

 

 

 

 

 

ハセヤンもまた、

 

動物が歩いたり走ったり跳ねたりするように、

 

呼吸の速さで仕事をしているように見える。

 

ゆったりしたリズムの中に、

 

すっと動きが速くなる瞬間があり、

 

神経を研ぎすませる気配があり、

 

無駄がないというのは

 

本来はこういうことであろうかと思った。

ある程度の仕込みが進んで献立の細部が決まったのだろうか。

 

紙と筆ペンをだして座り、

 

がっぷりとそこに被さるようにしておしながきを書き始めた。

 

半ばまで書き進んだところで、

 

あっ、と声を発して手が止まった。

 

左右の手を組んで額につけた状態で考えている。

 

どうやら盛り込みすぎて、ちょっと重複する要素が見つかったらしい。

 

なにせ使い尽くす名人だから。

 

少しアレンジして変化をだすか策を練っている。

 

立ち上がって片手をついて考え続けている。

 

 

が、気がつくとまた鼻歌モードに戻ってお品書きは完成。